ハワイで学ぶ異文化〜中国①〜

数日前

「2017 年朝活新年会 @ スタバ in マノア」を開催

って

これは私が勝手に後付けで命名しただけで

ただ単に友人とお茶をしたのでした(笑)

友人は、中国出身ですが

日本に長年住み、すでに日本の市民権を獲得しています。

日本語も堪能なので

ついつい同じ「日本人」と錯覚をしてしまうのですが

彼女の生い立ちを聞いて驚き

「共産主義国」の実態を知ることができました。

まず、

彼女のおじいさんは自営業で、工場を持っていたそう。

ところが1949年に共産主義政党による一党独裁国家になったことで

おじいさんの工場は勝手に「国のもの」とされ

とりあげられてしまったのだという。

それだけでも災難なのに

その後も彼女のご両親は

「資本主義の家」というレッテルを貼られ

肩身の狭い思いをしたのだという

そんなご両親は

人工衛星の部品を作る会社で働いていたのだが

中国は

「アメリカから攻められたら大変」ということで

大手会社や工場は中国内陸部に移されたのだそうだ。

新しい街を作り、新しい学校もできたわけだが

そこに通っていたお姉さんは、シラミがでたり

病気をもらってきたり、とかなり不衛生な学校で

親御さんもこのままその学校には通わせられない、と

2人の娘を里親に出そうと決めたそうです

当時たった6歳だった友人は

「このまま残って、ここの学校に通うか、

地方の里親の元で暮らすかどっちがいい?」

と両親に(一応)意思確認をされ

「里親のところに行く」と即答したのを

鮮明に覚えているという。

それから

16年間彼女は里親のもとに暮らしたのだというのです。

なぜあの時たった6歳で

「里親のもとに行く」ことを選んだのか聞いてみたら

皆そうしてたから

またお姉さんが先にお祖母さんのもとに

いかされていたのを見て

自分もそうするものなのだと思ったのだと言う

一瞬お姉さんは実のお祖母さんの元で育てられて

ラッキーだな、なんて思ったが

お祖母さんはすでに多くの孫たちを面倒をみていて

お姉さんはぞんざいに扱われたそうで

全く良い思い出などなく、反対にこれがきっかけで

お姉さんはグレて、両親を恨み、仲が悪くなったのだそうだ

「今でも姉はちょっとグレている」

という友人談。。 グレるという懐かしい表現に

思わず吹いてしまいました(笑)

友人がいざ学校に行く時には

お祖母さんはもう手一杯で「これ以上面倒はみれないよ」

と断れたので、全く赤の他人のもとに行くことになったとのこと

あの時から

「自分には家がない」という思いが根付き

その後大人になって日本に来て結婚した後ですらも

「この家もいずれはなくなるんじゃないか」

っていう思いがあったのだそう。

そして

お母さんのお給料は丸々

友人のため(=里親への支払い)に使われたのだという