• Miki Cabatbat

No.12 義父を偲んで


  5月8日に義父が69歳で亡くなりました。7年間アスベストが原因の肺がんと闘ってきました。今年に入ってからは、お腹中にも癌が広がり、もう万策尽きた状態で、治療法がなく、「家でできるだけ快適に過ごせるようにするように」と医者に告げられました。それから急激に弱まっていき、ガスボンベと車椅子が必要な生活に。しまいには、たった1mの距離を歩くのも、義父には1kmに匹敵するくらいしんどい状況になっていました。


 亡くなる1週間前に、低血糖のショック症状で意識不明になり緊急で運び込まれ、どうにか一命はとりとめたものの、義父も自分の死が近いと察していたようでした。そこで、義父が、最期に望んだこと、、、それは、「グアムに住む孫に会いたい」でした。 以前のコラムにも触れたことがありますが、義母の連れ子であった義姉の3人の子供たちのことで、グアムに住んでいます。元々夏休みにハワイに遊びに来る予定でしたが、義姉家族も、義父の危機を察し、予定を大幅に変更して、5月6日来ることになりました。その緊急で運び込まれた日から、孫たちが来るまでの日が、まさに「命をかけた」闘いでした。


 そして、義姉家族の到着日の朝から、体調が芳しくなく、私たちも不安が心によぎりながらも、今か今かと到着を待ちました。ついに、夜7時半に我が家に着き、念願の孫達に会えて涙ぐむ義父。それから数時間孫達が目の前で遊んでいる姿をみていたものの、容態が悪化し、緊急で病院に行きました。すでに、内臓がじょじょに機能停止になっていっていたのです。 

 次の日には、病院のロビーの一角を我が家で占領してしまうほどたくさんの家族がお見舞いに訪れました。そして、義父は、顔面を覆う大きな酸素マスクをして、やっとの思いで呼吸をしている状態にも関わらず、遺言を言い始めたのです。その中でも、笑い話しにもなっているのが、義父の一番下の弟に、「うちの前庭にある木を切って欲しい」と頼んだことでした。加えて、義母には「チェーンソーの替えの刃はあそこにあるはずだから」とまで伝えたそうで、常に”家族”のことを一番に考えていた義父らしいエピソードとなりました。そして、5月8日、私と主人がちょうど義姉の子供たちを連れて病院に着いてすぐに、また最後に孫を会えて安心したかのように、穏やかに息を引き取りました。


 実は、前々から私たち夫婦は、5月9日から1週間旅行を計画していました。義父の容態が悪化してからも、義母は「絶対にキャンセルしないで行ってきなさい。もし中止にしたら、それこそお父さんが後悔することだから」と言ってくれていました。結局は、その前日に亡くなり、私たちが心配することなく行って来られるようにと、取り計らってくれた義父の愛を感じてなりませんでした。おかげさまで、主人も私も、悲しみに打ちひしがれることなく楽しい、有意義な旅行となりました。


 義父が今世で命を賭して大事にしたものが「家族」。最期の最期までその姿を私たちに見せて逝ってくれました。その義父の意思を引き継ぎ、今度は私たちが家族を大切に生きていきたいと思います。



*注意* このコラムは、2015年6月に「日刊サン」に掲載されたものです。

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