

No.42 純愛夫婦すらも引き裂く戦争
いつか書こうと思っていた主人のいとこ夫婦。その2人は、誰もが羨む理想的な夫婦でした。従兄弟は、エアフォースの花形パイロット。爽やかイケメンで、ファミリーパーティーとなれば率先してBBQやフィリピン料理を作る、とってもマメな男性です。コミュニケーション能力も高く、食事の前のお祈りやお祝い事の時のスピーチとなると、皆彼に頼むほど。そして、奥さんの方は、白人と韓国人のハーフで、眼科医となった才女。2人は高校生の時に出会い付き合い初めて、そのまま結婚した、いわゆるハイスクールスイートハートなのです。 ちょうど私たち夫婦が結婚した4年前に、奥さんがオレゴンの大学を卒業したのですが、その大学在学中、ハワイとオレゴンで離れ離れでも2人の絆は固く支え合っていました。3年前には、ミリラニに5ベッドルームある素敵な1軒家を購入し、米本土に住む親戚がハワイに遊びに来る時には、この2人の家に宿泊。そして、もちろんのことパーティーもその都度開催。今年の年明けのカウントダウンも彼らの家で盛大にやりました。また、2年前には待望の女の子を出産し、さらに奥さんは念願の開業医となっ


No.41 本当にいた「ブライドジラ」
8月初旬にサンフランシスコに住む主人の従姉妹の結婚式がマウイ島であり行ってきました。 彼女は、昔から”Bossy”と陰で囁かれる、女王様キャラ。働き者で世話好きなお母さんとちょっと気の弱そうな(頼りない感じの)お父さんと、優しいお兄ちゃんに囲まれて、恐らくワガママが許されて育ってきたのかな?と臆測しています。 お母さんの美的センスを受け継ぎ、彼女もいつもお洒落で、デザイン関係の仕事もしていて、そこにお祝い事には殊更力をいれるフィリピンの民族性も重なり、今回のウエディングも相当力いれているだろうなと、私はかなりの期待をしていました。 すると結婚式が近づくにつれ「今すっかり彼女は『ブライドジラ』になってるよ」というのが耳に入ってきたのです。うわっ、なんかひと昔前によく聞いた言葉!本当にブライドジラ(”ブライド “+ “ゴジラ”を合わせた造語)っているんだ?! と思ってしまいました(笑)しかし、彼女の元々の女王様キャラからいくとブライドジラになっている姿は容易に想像できたのです。 フィリピン人の両親に育てられた従姉妹は、ユダヤ系の男性とデキ婚。式当日は


No.40 「恥」の基準
今年5月のある日突然義母が、義姉家族が住むグアムに行くことになったのです。なんでもギリギリに予定が決まる我が家ではありますが、それでもさすがに今回の旅は唐突すぎて驚き、主人に「本当に3日後にグアムに行くの?何かあったの?」と尋ねました。 すると主人が「知りたい?もし事情を知ったとしても知らない振りしてね」言うのです。そんな風に切り返されるとは想像もしていなかったので、一体何事かと思ったら、義姉は随分昔に脳動脈瘤の手術をしており、頭に金属がはいっていて、その影響でものすごい偏頭痛持ちなのです。生活に支障をきたすくらい頭痛がひどいので、最近ではサンフランシスコまで治療にいくほどでした。その頭痛に効くかなり強力な鎮痛剤を飲んでいるのですが、その鎮痛剤欲しさに、軍の病院と一般の病院の両方の医者に行き処方してもらいそれがバレて、リハビリ施設に通わないといけなくなったのだと言います。 アメリカ在住だとわかりますが、強い鎮痛剤は麻薬成分が含まれており、過剰な摂取は危険です。つまり、義姉はその鎮痛剤の中毒とみなされ、その中毒を治すためにリハビリ施設に通わないとい


No.39 従兄弟の恋の行方の結末
昨年10月に「従兄弟の恋の行方」というコラムを書きました。サンフランシスコに住むアラフォーの従兄弟が、ちょうどコラム掲載時にガールフレンド(&彼女の息子)とハワイに遊びに来ている予定で、私は「プロポーズするに違いない」と踏んでいました。 Facebookでそのコラムを紹介したら、「どうなったか気になる」という声を頂きながらも、なかなかお伝えすることができませんでした。というのも、あの時掲載後にわかったのが、従兄弟が旅行をキャンセルしていたのです。一体何があったのか?「もしかしてプロポーズどころか別れてしまったのか?」と心配したのですが、年末に彼の妹がフィアンセと結婚式の下見でハワイに来ていたので尋ねてみたら「彼女の息子の親権問題で何かあって旅行キャセンルせざるをえなかったみたい」とのことでした。とりあえず2人の関係が続いていることがわかり安心したのでした。 そして、今年5月のある日「今週土曜日パーティーだから集合」という招集が突然かかったのです。その従兄弟がやっと彼女とハワイに来るとのことでした。最初の数日はミリラニの従兄弟宅に泊まり、その後数日


【カルチャー】ハワイのイマドキ恋愛事情〜時代とともに一変する価値観〜
ハワイのラジオ番組の人気コーナー「セカンドデートアップデート」で、初デートの相手が遠い親戚だとわかったという相談を受けていました。


No.38 女ったらし人生のつけ
前回のコラムで、マウイ在住のアンクル(義母の異父弟)の結婚式ドタキャン騒ぎの2週間後に、新しい彼女を連れて我が家にやってきたことを紹介しましたが、義母にその後結婚しようとしたコロンビア人女性とは連絡とっていないのか尋ねると、「あの後彼女から手紙が来たらしいけど、読まずに捨てたらしいわ」と言いました。義母が、「読めばよかったのに」と言ったら、「もう終わったことだから」とアンクルは返答したそうなのです。そう聞くと、気持ちの切り替えも早いアンクルなのかと思いますが、これがまた前妻とゴタゴタもめているのです。 前妻とは、昨年15年近く続いた結婚にピリオドをうったわけですが、その原因が彼女の若い男性との不倫でした。彼女は、離婚後トットとその男性と再婚。結婚式の写真をSNSで目撃し、私たちは「もう再婚したの?!」と驚き、まるで「私の勝ち!」と言わんばかりの雰囲気が写真からとって読み取れました。その後判明したのが、実はその男性とは離婚する2年前からつきあっていて、ちょうどアンクルとの間に1歳にならない男の子を養子縁組した時期と重なるのです。 義母曰く、前妻は、


No.37 ザ・女ったらし!
前回のコラムで結婚式をドタキャンしたマウイ島在住のアンクル(義母の異父弟)について書きました。あれが起こったのは3月末のことです。そして、4月中旬私は出張でラナイ島に行くことになっていて、その出発日の前日そのアンクルが、3歳の息子(養子)を一晩ベビシッターして欲しいと義母に預けにやってきました。 すると、アンクルの隣りに見知らぬ女性がいるのです。まさか・・?!と思いつつも、とりあえず挨拶をし、私は明日からラナイ島に行くという話しになったら、「彼女はラナイ島出身なんだよ!聞きたいことあったら聞くといいよ」とアンクルに言われたのです。とりあえず、彼女は一体誰?! と頭の中で思いながら軽く会話をしてその場をやり過ごしました。 そして、息子を置いて2人がいなくなった後、義母に「もしかしてアンクルの新しいガールフレンド?」と聞いたら、「そうなのよ」という答え。もう一体何が何だかわかりませんでした。だって、ついこの間結婚しようとした人がいたわけで、それが破談となったとはいえ、たった2週間しか経っていないのに新しい彼女がいるってどういうこと?と、聞きたいことは


No.36 まさかの結婚式ドタキャン
先月のコラムで義弟が、いつの間にかコロラドに住むゴシック・ロック系の彼女をつくっていたと書きましたが、ちょうど掲載される前夜「あの子は、ハワイには戻ってこないって」と義母から聞き、あっけなく2人の関係は終わっていたことが判明しました。それから、その直後にもう一つの恋が終わったのです。 以前「結婚に向かないのに結婚できる男たち」というタイトルでコラムを書き、その時に登場したマウイ島に住むアンクル(義母の異父弟)が、昨年奥さんが若い男性と不倫をしていたことがわかり離婚。その離婚協議中に、昔からの知り合いであったテキサス在住の女性とつきあいだし、周囲を驚かせました。そして、ちょうど義弟の(元)彼女がコロラドからハワイの我が家に来た時と同じタイミングで、アンクルが”フィアンセ”を紹介しに我が家にやってきたのでした。そこで突然「来月ラスベガスで結婚式挙げるから」と告げられ、大慌てで義母は航空券とホテルの予約をいれたのです。 フィアンセは、コロンビア出身で、アンクルより15歳以上年下のバツイチ子持ち。私もお会いし、「元奥さんより断然感じは良いよね」と義母と同


No.35 我が家の恋愛事情 <2017年上半期>
仕事で1年間クウェートに住んでいた義弟が再び転職をし、1月末にハワイに戻ってきました。クウェートに引っ越した時は、付き合っていた彼女とは遠距離恋愛になり、半年後に2人はギリシャで待ち合わせをしていました。ところが、そのバカンス中に大喧嘩をし、別れてしまったのです。彼女は予定よりも1週間近く早くきりあげてハワイに帰ってしまいました。 美しいサントリーニ島でのスイートな一時が一転し、最悪な旅行となった義弟ですが、彼はそのまま残り、傷心しながらも一人でバーに行ったら、そこでイギリスから旅行に来ていたカップルと出会いました。彼女と別れたばかりだと、全てのなりゆきも話し、すっかりそのカップルと仲良くなり、すると「君に僕たちの従姉妹を紹介したい」と言われたらしいのです。 それからクウェートに帰って、職場の上司に「最悪な休暇だったから、また休暇を取らせて欲しい」とお願いしたら、なんとオッケーをもらい、翌月にすぐ親友夫婦(ワシントン州在住)と一緒にヨーロッパ旅行に行ったのでした。それでイギリスに行った時に、ギリシャで出会ったカップルの従姉妹と会うことになっていた


No.34パクチー万歳!!
「パクチー苦手なんだよね」と言われたら、つい「そうすると我が家には嫁げないね〜」と別にうちの誰かと結婚したいなんて言っていないないのに口からでてしまいます(笑)プエルトリコ料理は、メキシコ料理とも全く違い、日本人が食べるとどれも「初めて食べる味」と思うと思います。そのプエルトリコ料理で欠かせない材料の一つが、「パクチー」なのです。 日本人には、好き嫌いがはっきりわかれるパクチーは、タイ料理のブームによりすっかりタイ語の「パクチー」が市民権をえました。元々料理をあまりしなかった私は、そのパクチーという呼び名しか知らず、この家に嫁いでから、アメリカでは「Cilantro」もしくは「Chinese Parsley」と呼ばれていると知りました。ちなみに、義母たちハワイにいるプエルトリコ系の人たちは「コナティージョ」と俗称で呼んでいます。 そこでふと、チャイニーズパセリっていうことは、中国が原産国なのか?そうすると一体中国からプエルトリコにどうやってこのパクチーが伝わったのだろう?という疑問が浮かび上がったのです。なので、パクチーとプエルトリコの歴史を紐解